何かが変わるのは行動の結果 苦痛でもブログを続ける理由
宣言してみたものの・・・
goodman-australia.hatenablog.com
ここ最近、ブログを毎日更新しなくてはいけないという強迫観念だけが、いまだにブログを続けている原動力となっています。
やりたいことがある人はいいですよ。でも、やりたいことなんて特に見当たらないという私のような人間も、何もせずにだらだら毎日を過ごすわけにもいきません。
何かが変わるのは行動の結果です。やりたいことが無いという状態から、何かやりたいことがあるという状態に変えたい。どうすればそのように変われるかは分からないけれど、少なくとも何かしらの行動が必要になるのは間違いないですよね。
だから強制する。こんなこと言うのもなんだけど、毎日毎日更新するのは今となっては苦痛でしかありません。でも今辞めたら本当に駄目になる気がする。だから続ける。
もちろんブログじゃなくてもいいんです。SNSで何かしら公に宣言するというのは、自分に発破かけるのには結構よいツールです。特に気力の低い私にとっては。
こんな強迫観念の原動力がいつまで続くかは不明です。それこそ、この状態を脱するために何かしらの行動をとる必要がある気はしますが。
goodman-australia.hatenablog.com
赤毛のアン-カナダが舞台の小説
赤毛のアン
- 作者: ルーシー・モード・モンゴメリ,Lucy Maud Montgomery,村岡花子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/02/26
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 35回
- この商品を含むブログ (90件) を見る
バンクーバーの図書館にて発見したので借りてみました。
赤毛のアンの舞台となったのは、カナダのほぼ最東部に位置するプリンス・エドワード・アイランドです。赤毛のアンや著者のモンゴメリに関するツアーなどもたくさん組まれているので、結構人気の観光地です。
私は恥ずかしながら今まで赤毛のアンを読んだことは無いし、どんなストーリーなのかも一切知らないので、折角だから読んでみることにしました。カナダにいる内に読んどかないと、読む機会逃しちゃうだろうしね。
ワーホリ後半戦はカナダ東部で過ごすので、これからトロントを拠点にして観光する機会もあるかもしれないですし。といっても、プリンス・エドワード・アイランドはトロントからですら飛行機で2時間もかかるんですけどね・・・。
パソコンが生きてた件
以前、パソコンのバッテリーが寿命を迎えて、これ以上充電できなくなったという話をしましたが・・・
goodman-australia.hatenablog.com
何かふと思ったんですよね。
「あのパソコンまだ使えるんじゃね?」
と。
もうスマホ+ワイヤレスキーボードのコンボに慣れてしまっていたので、タイピングに不便を感じたことはありませんでした。しかし、スマホだと画面が小さすぎるので、やっぱりパソコンの方がずっといいよなぁと思っていたのですね。
実は前々から、「もう一回差し込んでみたら普通に充電できるんじゃないの?」と思ってはいたのです。あんなにあっさりバッテリーが寿命を迎えることに何となく違和感を持っていましたから。
とはいうもののワイヤレスキーボードを買ってしまった手前、棚の底に沈んだパソコンを取り出す気もおきず、今日にいたったわけです。
思い立ったが吉日。パソコンの起動を試みます。で、思った通り、差し込んだ瞬間充電ランプが点灯。見事にNECのノートパソコン復活です。
今までのスマホ生活は一体何だったんだろう(笑)。自分のスマホ操作力を向上させるために、パソコン君が一時的に身を引いてくれた・・・とでも考えておきましょうか。
あぁ、しかしキーのピッチ感覚が違うから打ちにくいったらありゃしない。また元の操作に慣れるまで時間かかりそうですね。最近ずっとスマホ使っていたので、つい癖で画面を触ってしまうし。タッチスクリーンじゃないのにね。動かないと頭ではわかっていても、つい指が画面に向かっていってしまう(笑)。
ワイヤレスキーボードもよいけれど、やはり私にはパソコンが必要です。
goodman-australia.hatenablog.com
カナダで最適な旅行シーズンは?
今週は3連休でしたが、生憎の天気で気温も低くなりました。
カナダに長くいる同僚が言っていましたが、バンクーバーなどの西部カナダに住んでいる人って鬱になりやすいみたいです。秋から冬にかけてはずっと気温も低く雨もしとしとと降り続くからなんだとか。
私がバンクーバーに来たのは3月末で、その頃でもジャケットを着ないと耐えられないほど寒かったです。ようやく暖かいなぁと感じるようになったのは7月の半ばくらいからだったでしょうか。
9月に入った途端、夏の終わりのサインであるかのように気温がぐっと下がって、今はもう最高気温が20℃に達しません。週間の天気予報を見ても(バンクーバーの天気予報って全く当てにならないのですが)、天気は曇りか雨で、最高気温も20℃以下の日が続くようです。どうやらもう夏は終わってしまったみたいですね。
特に10月に入ると、寒い上に毎日のように雨が降り続く嫌な天気になるみたいなので、鬱の人が増えるというのも想像に難くないですね。
ふと思うと、カナダで最初で最後の夏だったわけですが、全くと言っていいほど満喫できませんでした。こんなにあっという間に過ぎ去っていくものとは露知らず、計画を立てる間もなく晴れ晴れとした夏の気候はもう味わえなくなってしまいました。
ちなみにカナダ東部の方が平均的に寒いと言われますが、東部はこれからきれいな紅葉のシーズンに入りますので、旅行業界としては忙しくなります。西部では残念ながら紅葉は見られませんので。
というわけで、カナダに旅行に来る人は季節に要注意です。西部を旅行するなら6~8月、東部の紅葉を楽しむなら9月中旬~10月中旬です。勿論冬にスキーやスノボを楽しみたいという人はこの限りではありませんが(むしろカナダに来る人はそっち目的の人の方が多いのかな?)。
自分を客観視するために最も有効な方法
自分自身に関するデータを取る。これが一番なのではないでしょうか。
以前、自分を客観視できるようになりたいということで、メタ認知に関する記事を書きました。
ブログを書くことによってもメタ認知能力は向上すると書きましたが、これだけだとどうしても定性的なんですよね。具体的な数字が無いと完全に客観視するのは難しい。
身長や体重くらいなら誰でも大体把握しているかとは思いますが、血圧、体温、心拍数などを含めた身体的特徴に加え、就寝・起床時刻、運動時間、カロリーや水分摂取量などの習慣的特徴も、色々な面から数値化することができます。
自分を知るために様々な角度からデータを記録するというのは、結構有効なアプローチだと思うんですよね。普段漠然としか把握していないものを定量的に見ることで、意外な発見があるはずです。できていると思っていたことが案外できていなかったり。
客観的に把握すべきものは自分のことだけに限りません。例えば健康の話になると、摂取カロリーを控えましょうとか、なるべく水分を取りましょうとか、この食材が体にいいですよとか、漠然とした情報はいくらでも入ってきます。
でも何かを控えたり、摂取したりすればいいという問題ではなく、何を、いつ、どれだけ摂取すればいいのかというのを具体的な数値として知っていなくてはあまり効果的では無いと思います。
水をなるべく飲むとか言われても、じゃあ1日1lで足りるの?それとも2l?3l?という話になります。自分の体型や健康状態によって適正値は変わるはずなので、個人差も考慮しなくてはいけないですしね。
体重が50kgの人と100kgの人では適正値が異なって然るべきですし、そもそも適正な体重は何kgなんだという話もある。そのためにBMI指数なんて指標もあるわけですしね。
ちなみに私は上に挙げたようなデータはほとんど把握していません。身長・体重くらいなら分かるけど、日々どういう変化をしているかは分かりませんし、血圧や体温なんか全然知りません。
寝る時間も起きる時間も日によって違いますし、運動する時間もまちまち。走るときも何キロ走ったか全く把握していないくらい(家の周りではネットが繋がらず、ランニングアプリが利用できないのです・・・)。
なので、これからはできる範囲で定量的にデータを取得していこうかなと考えています。こういうデータを集める利点って、ただ自分を知ることだけに留まらず、改善点を見つけられることですよね。
例えば、話は変わりますが、英語を問題なく話せるレベルになるまで4,000時間の学習が必要だなんて言われます(学習の質や個人差に影響されるのであくまで一例として)。
その4,000時間に到達するまでにどれだけの日数を要するかは、自分が毎日何時間学習しているかを把握している必要があるわけですよね。1日1時間しかやっていないとしたら、目標到達まで4,000日、約11年かかる計算になりますが、1日10時間やれば400日、1年ちょっとで到達できることになります。
2年間で英語ぺらぺらになるぞ!っていう目標があるとしたら、その人は1日平均約5時間半の学習をする必要があるわけです。もちろんこれはただの単純計算ですが、こういう具体的な数値情報を知っているか知らないかで大きな差がついてしまいますよね。2年間で達成してやるとか言って1日1時間しかやらなかったら、上述した通り約11年かかってしまうわけですから。
自分のデータを取得した上で、そのデータを分析する能力を身につけることが大事になりますね。先述の英語の例で言えば、まず自分の学習時間や現在のレベルを記録し、自分の位置を探る。そして目標があるとしたら、どう改善していけばいいのかと分析して、自分の習慣を改善する。こういうことを繰り返していくと、具体的な数字によって客観視する事による効果が見えてきます。
ランニングを趣味にしている人ってこういうのに結構敏感なのかなって勝手に思っています。特に最近はアプリも充実していて、走った時間や距離だけでなく、カロリー消費数やら標高やら、トレーニングプランやら色々出てきますもんね。
まずは身近なところからデータ集めをしてみてはいかがでしょうか。私もこれから始めていきます。
最後に、この自分に関するデータを取ることに関するTEDの動画をご紹介します。主に女性の体温の話をメインにされていますが、他にも応用できる話だということをご本人も言及されています。
タリシア・ウィリアムズ: 自分の体のデータを持とう | TED Talk | TED.com
喜怒哀楽の「楽」が欠落した自分のルーツを探る
感情表現が豊かな人って、喜怒哀楽の感情が表情や言葉によく現れてきますよね。
感情表現が豊かというのは喜怒哀楽の有無ということであって、それで優劣がつくようなものでは無いとは思います。感情の強さによって、メリットもデメリットもあるでしょう。
それでも、個人的にはもっと感情表現豊かになりたいなという気持ちはあります。私は喜怒哀楽を表情や言葉に出すのが苦手で、表に出すよりは隠したり我慢したりしてしまうのです。
ただ一番の問題なのは、「楽」の感情が他の感情に比べて欠落していることです。何かを達成したときには嬉しくなるし、嫌なことがあれば怒りがこみ上げてくるし、辛いことがあれば哀しくなります。しかし、今までの自分の人生を振り返ってみると「楽しい」と感じた出来事がほとんど思い出せないんですよね。
いや、友達がいなくて孤独で寂しい生活をしてきたとかいうわけではありません。誰かと一緒にご飯食べたり、喋ったり・・・それはもちろん楽しいという感情はついてくるのですが、そういう場合はどちらかというと「嬉しい」とか「ありがたい」という感謝の気持ちに近い感じなのです。友達と一緒にいて嬉しいけど、自分自身は心の底から楽しんでいないというか。
心の底から楽しかったという記憶を思い起こすとなると、小学生の頃まで遡らなければいけません。あの頃は勉強とかは大嫌いだったけど、遊ぶときはちゃんと心の底から楽しんでいたよなぁと。特に小学生3年、4年くらいの頃が自分の人生で一番楽しかった時期です。あの頃以降、人生楽しいって思ったことほとんど無いですからね。死にたくは無いから仕方なく生きているという程度です。
何で小学生の頃は楽しかったのか。何よりもまず、あの頃は先入観もなく、良い意味で何も考えていなかった、ということが挙げられます。将来のことを不安に思うことも無かったし(そもそも将来のことなんか考えていなかった)、1日1日を思いっきり楽しんでいた記憶があります。
人見知りなんて言葉を知らない状態で、友達もそれなりにいたので、今と比べると気兼ねなく話せる時間が多かったのも理由の1つです。
良い意味でバカだったんですよね。実際勉強は大嫌いで、テストの点数もクラスでびりになることもしばしば。当時はバカであることをあまり気にせずに日々を過ごしていたということが大きかったのかなと思っています。
でも小学校の高学年になると、自分がバカであることが恥ずかしく感じてしまったのですね。学習塾に通い始めたのも小学6年生。中学校に入ってからは新しい人が増え、自分が人見知りだと思い知らされたのもそのときです(当時はそんな言葉知らなかったけど)。
恥ずかしいという理由だけで、好きでもない勉強を始め、成績が上がって周りからも真面目なやつと思われるようになりました。そしたら、自分もその視線に合わせるように、真面目なふりをするようになってしまったんですね。
そうなるともう駄目です。元々好奇心がほとんど無い人間だったため、どこかに逃げ場があるわけでもなく、ただただ何の特徴も無い自分を育てていくことになります。
勉強は既に述べたように嫌いなので、やったところで頭が良くなるということはありませんでした。テストで良い点を取るのと、頭が良いということは違いますからね。
まぁ、そのままずるずると来て、今に至るわけです。自分の思惑とは違う自分を演じていて、素直に楽しいと思えなくなってしまったのかなと。たまに思いっきりバカみたいに笑ってみたいとか思うのだけど、今まで作り上げられてしまった無意味なプライドやらイメージやらが邪魔して、もうバカになりきれない。そんなだから喜怒哀楽の「楽」が欠落するようになってしまったのかなぁと考えています。
まぁ本来大人には大人なりの楽しみ方があるのかも知れませんが、それにはやはり好奇心が大切ですよね。好奇心が無く、真面目な自分を演じている今の状況では何事も楽しめないのは仕方のないことかもしれません。
それを解決するにはどうしようかと考えても、どうすればいいのか分かりません。こういうこと言うと、考えるんじゃなくて行動しろって話になるのですが、どんな行動をとればいいのか分からないんですよね。だからこんなことだらだらと書いている訳ですが。
感情って思考から生まれるものではありませんので、いくら考えたところで楽しいという感情が出てくるわけでは無いとは思うんですけどね。というか本来何かを楽しむってことってもっと単純で簡単なことのはずじゃあ・・・。
旅に出れば、何かが変わる
辛い、気分を変えたい。そんなときに効果があるのは「旅にでること」。
蔵前仁一著『あの日、僕は旅に出た』を読みました。
旅行に関する雑誌の出版の話もたくさん含まれているので、純粋な紀行文というわけでは無いのですが、こういう旅に関する本を読むの毎度のように自分自身も旅に出たくなるんですよね。
特に日本から出てみると、日本で当たり前だった常識が全く通じず、面白いことも大変なこともたくさんあります。場所によって常識や考え方が全く異なるという、その違いを認識するだけでも旅にでる価値はあると思っています。
本書ではインドを中心としたアジア旅行、アフリカ旅行について多くのページが割かれています。
多くの海外旅行を経験してきた人ってインドを進める方が多いですよね。この本も例に漏れず、インドの魅力について様々なことが書かれています。
やっぱりインドは日本の常識とはかけ離れているからこそ、旅先としても魅力が強いのでしょうね。私は今年の2月にベトナムやカンボジアなどの東南アジアの国々を訪れましたが、街の雰囲気や熱気、人の生活スタイル、交通網、食べ物・・・。あらゆるものが日本のそれとはかけ離れており、刺激を受けました。
きっとインドという国はもっともっと深く、考え方、感じ方などが全く異なるんでしょうね。インドに行って人生が変わったという人の話はよく聞きます。
ちなみにそのインドに関して、最近こんな記事を見ました。
インドの電車が「ドア開けっ放し」で走るワケ | 海外 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
この記事を読むだけでも、いかにインドという国が日本の常識が通用しない国なのかがありありと伝わってきますよね。
インドに限ったことではありませんが、本を読むだけでなく、そういう様々な国・都市を訪れて、現地の空気を感じるというのは、凄くいい経験になると思います。
今の環境とは違う空気を吸うという意味では、海外に出ることに限定する必要はありません。普段旅行をあまりしないという人であれば、国内の他の県に行くだけでちょっとした「刺激」を得ることってできますよね。
例えば一度も東京を出たこと無い人が大阪に行ったとしたら、間違いなく違いを感じる訳ですよ。テレビを見てれば大阪弁も聞き慣れているかもしれませんが、やっぱり現地に行ってそこの空気を感じるというのは、自分の実体験として蓄積されるので、行くだけでも意味があると思います。
旅行と聞いて思い浮かべる行き先は、やはり有名な観光地かと思います。しかし、現地の空気を吸うだけでも体験として面白いのだと思えば、わざわざ混雑した観光地に行かなくても結構楽しめるものです。例えそこでやることが無かったとしても。
多分インドって場所としてそういう面白さがあるんじゃないかなぁと勝手に思っています。別に観光なんかしなくてもいい。適当に歩いていれば、普段の生活からは想像もできない場面に出くわし、自分の視野が広がったり、脳に良い刺激になったりする。個人的にはベトナムに行ったときに似たような感覚を得られたと思っています。
交通カオス! ホーチミンシティのすご過ぎる道路事情 - 破天荒な海外生活ブログ
行き先はどこでもいい。旅に出れば何かが変わる。だから旅をしよう。
次の行き先はインドかなぁ。