長時間労働の問題を考えてみる
今日はライフハッカーのこんな記事を紹介。
1日8時間のうち、労働者が生産的な時間の平均はたった2時間53分だという研究もあります。
なのだそうだ。何をもって生産的というかの線引きが難しいとは思うけれど、まぁ分からん話ではない。
ちなみにこの記事でいう非生産的な活動というのは以下の通り。
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ニュースサイトを読む:1時間5分
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SNSをチェックする:44分
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同僚と仕事と関係ない話をする:40分
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転職先を探す:26分
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タバコ休憩:23分
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恋人や友だちと電話をする:18分
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コーヒーやお茶をいれる:17分
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携帯でメールをする:14分
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おやつを食べる:8分
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社内で食事をする:7分
個人的には3、5、7、9あたりは別にいいのではないかと思うのだけれど、どうなのだろう。このデータからするとあまりに費やす時間が長い気はするけど、仕事と関係ない話が刺激になったりするし、コーヒーやお茶をいれるのは生産的な活動量を増やすことに貢献していると思えば、そんなに非生産的と断定できるような項目では無いのでは、とは思う。
まぁそれはともかくとして、この記事の最後にあるように
では、この情報を本当に信じたとして、労働時間を3時間や6時間に短縮したらどうなるでしょう?11~17時が一般的な勤務時間になったらどうなるでしょう? もっと休息が取れて、もっと集中できるようになり、もっと生産的になるかもしれません。
ここは中々難しいところ。労働時間を短縮したらしたで、結局生産的な労働時間も相対的に減ってしまうのではないか?
働きアリの法則というものがあるように、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割はサボっている。しかし、その中で働いているアリだけを集めても、やはりその中の2割はサボり始める。
比喩としては労働者の例えではあるけれど、労働時間にも適用ができる気がする。8時間の内3時間が生産的だとすると、労働時間を6時間に減らしたとしたら、結局2時間25分しか生産的にならないみたいなね。知らんけど。
生産的な活動=集中している時間ではないことに注意。1日で集中できる時間はある程度固定値なのかもしれないけれど、その中で非生産的な活動もあって仕事というものが成り立つのではないかとも思う。
結局のところ、いかに生産的な活動へ集中力をそそぎ込むかが重要なんじゃないかと。無駄なところに労力かけないというか。
日本の長時間労働は度々問題になるし、解決されるべき問題だとは思うけど、単純に「生産的な活動は1日3時間んだけだから、勤務時間を減らそう」っていうわけにもいかないよなぁ。
ただ個人的には無意味な残業をしないように心がけている。残業ありきで時間配分を考えるのではなく、意地でも定時で帰れるように。あまり偉そうに言えるほど仕事ができる人間だとは思っていないけれど、1人1人がそういう意識を持つことは大事ではないだかと。
在宅勤務等も含め、社会全体の仕事が「定時」という概念から解き放たれるような環境が望ましいかなぁ。あくまで個人的な意見ですが。