自信の無い人に見られる「メタ認知」能力の欠如
なぜだか最近「メタ認知」という言葉をやたらと目にする気がする。目にするというより、気にかかるという方が正しいのかも知れません。
メタ認知っていうのは客観的に自分を見ることですよね。自分を俯瞰視する。別に特別目新しい言葉というわけでは無いはずなのですが、まぁとにかく私の意識の中に入ってくるわけです。
何でだろうという理由は、考えるまでもなく自分自身にその能力が欠けているからなんですよね。
自分自身を客観的に見るというのは、自分の能力や性格を正しく判断する上で欠かせないものだとは分かっていますが、どうしても主観的に自分を見てしまいます。
特に自信の無い人にとって、自分を主観的に見てしまうと、どうしても自分のあらゆる点を過小評価してしまうものです。
私を含み、そういう自信を持てない人って、常に誰かと比較してしまうんですよね。比較するような人が近くに全くいなかったとしても、どこかに間違いなく存在するであろう、自分よりその能力に優れている人と比べてしまうってことは、実は結構あるような気がします。
意味も無いのに勝手に比較対象を作って、なおかつ比較対象のレベルがもの凄く高いんですよ。上には上がいるということを認識してしまった時点で(そんなのは当たり前のことなのに)、勝手に自信を失います。
どんな能力を取ってみても、自分より優れた人がいるというのは本来当たり前のことで、それこそスポーツでいえばオリンピッククラスの選手にならないと、上には上がいるという状況が無くなることはありません。
誰もがオリンピックの選手になる必要は無いわけで、もの凄い勝負の世界で生きるのでなければ、自分が必要だと思うレベルで絶対評価ができていればいいと思います。誰かと比較する必要なんかは無い、というか比較するからおかしくなる。
どうしても私は常に相対評価で自分を見てしまうのですが、同じような人って結構多いのではないでしょうか。
私は自分がそういう人間だということを認識していて、それを改善したいと最近強く思っているからこそ、「メタ認知」という言葉が引っかかるのかもしれません。
自分を主観的に見るか、客観的に見るかということと、自分を絶対評価するか、誰かと比較して相対評価するかということは決して同じ意味ではないとは思います。
ただ私が思うに、自信の無い人、十分な能力があるにも関わらず自分を過小評価してしまう人は、間違いなく自分を客観視できていないはずです。つまり「メタ認知」能力が低いというわけですよね。
比べる必要の無い人を幻想的に作り上げ、勝手に相対評価を始めるのは、やはり主観でしか自分自身を見られていないのかなと。感情で判断してますよね。1回自分を俯瞰視してみれば、そんな比較対象は存在しないことが分かるのではないでしょうか。そんな気がします。
置かれた環境の中で、自分を正確に客観視することって本当に大切だなと思います。このメタ認知ができないことによって、自分を過小評価してできることもできなくなってしまったり、あるいは逆に、過大評価して反省したり改善することを怠ったり。
自信の無いまま生きてたって損なだけですからね。「メタ認知」能力を鍛えていこうかなぁとここ最近考えています。