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破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

迷ったとき「苦しい道」を選べるか~オリンピックが終わって思うこと

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」というのは良く言われることです。


若い内に苦労をしておかないと、年取ったときに苦しい場面に出会うと、対応できなくなってしまいますからね。楽な道ばかり選んでいては成長もできません。


リオでのオリンピックが終了しましたが、ああいう舞台でメダルを取る人達って間違いなく「苦しい道」を選択してきたはずなんですよね。


もちろん「苦しい道」といっても、退屈とか面白くないという意味ではありません。どうやったら強くなれるか、どうやったら勝てるかっていうのを考えたときに、自分のやるべきことが何かというのをリストアップして、それらをちゃんと実行に移しているんですよね。楽して勝てるわけはないので、それらが「苦しい道」になるのは必然だと思います。自分がどれだけそのことを好きで楽しいと思っていたとしても。


私は今回のオリンピックはネットのニュースを見ていただけで、映像は1秒も見ていないのですが、何だかテキストを追っていただけで感動してしまいました。勝っても負けてもオリンピックの舞台に立つこと自体が素晴らしいことであって、勝ったときの嬉し涙、負けたときの悔し涙。その裏側にあるはずの努力の積み重ねを想像すると、文字を読んでいるだけで自然とこっちも涙をこぼしてしまいます。


で、そういうオリンピックのニュースを見た後、ふと我に返ると、「あれ、俺は一体何をやっているんだろう」という気持ちが湧いてくるのです。素直に感動して、自分も頑張ろうっていう気持ちも勿論あるにはあるのですが、自分のことを情けなく思う方が強く出てしまうわけです。


別に私はオリンピックに出たいと思っているわけではないので、もちろん同じ努力をする必要はありません。しかも、オリンピックにそれぞれの国の代表として出場するような人たちですから、そもそもすごいのは当たり前です。


でも彼らが宇宙人だったならともかく、同じ人間だし、どうしても今の自分との姿を重ね合わさざるをえないのです。


自分が子供のころに見ていたオリンピックは人生の先輩方が世界の舞台で活躍しているという状況でしたが、30を過ぎた今、ほとんどの選手が自分より若いわけで、自分の辿ってきた道と彼らが辿ってきた道のあまりのギャップに絶望的になってしまうというか。俺は何の苦労もせず、どれだけ楽な道を選んできたのかと。


生き方の違い、目指しているものの違いはあれど、やっぱり「苦労」無くして到達できないものってありますよね。そこに到達するために努力を重ねてきた人と、楽な道、楽な道を選んで努力から逃げてきた人。差がでるのは当然です。


だからこそ、今からでも選択に迷ったら「苦しい道」を選んでいけるようにしたいのです。闇雲に辛い思いをする必要は無いとは思いますが、せめて自分のコンフォートゾーンの外に出て、何かに挑戦し続ける気概っていうものが欲しいですよね。


複数の選択肢が目の前に現れたとき、楽できる方を選ぶか、苦しい方を選ぶか。1つ1つの選択の積み重ねで自分が形成されていきます。


オリンピックも終わってしまえば、ただ観戦していただけの一般人の記憶からはすぐに褪せて過去のイベントになってしまうことでしょう。丁度今オリンピックの熱気も冷め止んでしまう前に、何らかの形で自分の糧にしたい。そんな思いでいます。