破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

人は普段から最も多く時間を過ごす5人の平均くらいになる

4日前から始めたウルトラブログマラソン。私は実際のウルトラマラソンである100km走を完走したという話をしました。

 

そもそもなぜ100kmを走ろうと思ったのか。

 

何かに挑戦するとき、言うまでもありませんが、まずはその「何か」の存在を認識していなくてはいけません。

 

最初からウルトラマラソンという存在を認識していたかというと、そんなことはありません。普通に生活していたら否が応でも耳に入ってくるフルマラソンとは違い、ウルトラマラソンなどという言葉に出会う機会はそれほど多くありません。

 

仮にその言葉が耳に入ったとしても、「うぉー、100km走りてぇ!」とはならないでしょう。私はそんな野性味あふれた人間ではありません。

 

聞いたことはあったけど、特別意識したことは無かったというところでしょうか。

 

じゃあ、なぜ最終的に100km走ってやろうという気になったのか、そもそものきっかけは周りに100km走ったことがる人が何人もいたことです。

 

日本で働いていた頃の職場ではなぜかランニング好きが多く、フルマラソンはもちろんのこと、ウルトラマラソンを何度も完走している強者がたくさんいたのです。

 

で、そんな場所で自分もランニングをやっていたら、やっぱり刺激される訳ですよ。走らない人にとっては、「へぇー、世の中には変な趣向を持った人がいたもんだなぁ」程度の感想しか持たないでしょうが、自分が関わっている分野となれば話は別です。「よし、俺もいつか」という気持ちになります。

 

最終的に「いつか、いつか」じゃ永遠に挑戦しないなぁと思って、思い切って出場してみたわけですが、何はともあれ、そういう挑戦をするきっかけとなったのはやはり自分がいた環境に起因します。

 

あの職場に100km走ったことがある人がいなかったら、私は絶対今でも100kmなんか走っていません。フルマラソンはともかく、100kmに挑戦しようという人はごく限られていますからね。その過酷さを考えれば当然のことですが。

 

以前何かのTEDトークを紹介したときに、こんな一節があったのを思い出します。


「ゴールを変える必要はない。環境を変えればいい。」、「情熱を持つ人たちと一緒にいること。人は普段から最も多く時間を過ごす5人の平均くらいになる。」

 

そんなことできないと言っている人と一緒にいれば、できないのが当たり前になってしまう。一方、できると思っている、あるいは既に達成している人たちと一緒にいるようにすれば、できることが普通になる。

 

人は普段から最も多く時間を過ごす5人の平均くらいになる。これって本当にその通りだなと思うんですよね。「既に達成している人たちと一緒にいるようにすれば、できることが普通になる」、というのは私が100kmを完走できた理由そのものです。

 

いつも周りにいる人が情熱的だったら、自分も情熱的になるし、ネガティブ人間が周りにたくさんいたら自分もネガティブになっちゃう。

 

周りに英語を見事に使いこなす人がいたら、俺もあぁなりたい!とか思うじゃないですか。それと同じで、周りに100kmも200kmも走っちゃうようなすごいランナーがたくさんいると、俺も走りたい!ってなるんです。きっと俺にもできる、とも。

 

それは自分が英語を勉強してて、ランニングもしていることが前提ではあります。興味のあることほど刺激されますから。

 

だからこそ色々なことに興味を持って、まずは何かを始めてみる。そして自分がエネルギーを持った人たちに囲まれるような環境に身を置けば、自分が始めたことがどんどん刺激されて、昇華されていくと思うんですよね。私が、最初は到底達成できるとは思っていなかった100km走を完走できたように。

 

そういう意味でも、何かうまくいってないなぁと感じたら環境を変えてみるっていうのもいいですよね。そこが自分が刺激されるような環境であればもう言うことはありません。

 

環境を変えるのは逃げだっていう人もいるけど、私はそうは思っていません。要は本人の意識の問題で、同じ「環境を変える」という事象でも、それが前進になる人もいれば、逃げになってしまう人もいる。

 

環境変えただけで満足していてはどうしようも無いけれど、ちょっと壁にぶつかったときの1つの選択肢として常に考えておきたいですね。