破天荒な海外生活ブログ

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旅の醍醐味―『ラオスにいったい何があるというんですか?』読書レビュー

今日はバンクーバーの図書館で借りた村上春樹の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』の読書レビューです。

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

村上さんがこの20年ほどの間に訪れてきた世界の色々な場所についての旅行記を纏めたものとなっています。

紀行文というのは結構好きなジャンルの一つです。他の人が訪れた先々で感じたこと、体験したことが魅力的な文章で表現されることで、何となく自分もそこにいる気にさせてくれること、そしていつか自分もそこに行ってみたいと思わせてくれるからです。

国内・海外問わず紀行文というのは旅への意欲を掻き立ててくれますよね。

本書に出てくるのは アメリカ、アイスランド、フィンランド、イタリア、そしてタイトルにも出てくるラオスなど、私自身行ったことの無い国ばかりだったので、非常に刺激的で面白かったです。

別に自分が行ったことの無い場所での紀行文だから面白いというわけでも無いのだけれど、頭にある知識だけで、体感として知らないからこそ想像力を掻き立ててくれる面はあるかと思います。

文章全体を見ると、そこはやはり村上春樹で、癖があるといえば癖があり、嫌いな人は嫌いなんでしょうね。でも小説の中の作られた世界とは違って、村上さん自身の体験や感じたことが書かれているので、アンチの人にとっても小説よりかは親近感があって幾分読みやすいのではないでしょうか。そういう人にとっては親近感があるからこそもっと嫌だったりして(笑)。まぁそれは知らんけど。

村上春樹の好き嫌いはともかく、個人的に本作で注目すべきだと思う箇所はタイトルにも出てくるラオスの部分です。

ラオスへは日本からの直行便が無いため、ハノイで乗り継ぐために1泊したときにベトナム人に聞かれたというくだり。

「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と不審そうな顔で質問された。その言外には「ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか?」というニュアンスが読みとれた。

そんなベトナム人に聞かれた質問に対して、

でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。

まさにそうですよね。もちろんこれが見たい、これをしたいという目的が事前にあって旅行に行くこともある(というかその方が主流か)。でも、新しい場所に行く場合、どれだけ人に聞いたり、本を読んでいたりしても、やっぱり実際にそこに行ってみなくては分からない。

その土地が持つ空気、気候、匂い、熱気・・・。そういうのってその場所に行かなくては絶対に感じ取れないことですよね。

例えば私は今年の2月に東南アジアを周遊した際、ベトナムを訪れました。ベトナムはオートバイの数がすごいという話は聞いていたし、写真でも見たことがありましたが、初めてホーチミンに降り立ったときに、「何だこれは!」と衝撃を受けました。

写真の通りといえば写真の通りなんだけど、もうとにかく凄まじい。人々の熱気や鳴り止まないクラクション。オートバイという生き物が蠢いているようなそんな錯覚に陥ってしまうくらい、街のあらゆるところに波のように押し寄せているのです。

私は別にオートバイを見にベトナムに行ったわけでは無いけれど、あの光景を見るだけでもベトナムを訪れる価値はあるのではないかというくらい、別世界が広がっていると感じました。

そこに何があるか分からないという論点からはずれているかもしれないけれど、実際にその場所に行くことで、頭の中だけでは消化しきれない何かと必ず出会えるものです。

本書に出てくるラオスの例に限らず、「そんなところに何があるというのですか?」と問われれば、「その何かを探しに行くのです」と答えればいい。それこそが旅の醍醐味なのだと考えさせてくれました。

実際、このラオスの稿は、「へぇ、ラオスってこういう国なんだ」と思わせてくれる部分が多々あり、紀行文として非常に興味深かったです。最後にこのラオスの稿の最後に書かれている文章を引用して本記事の締めにしたいと思います。

「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。(中略)結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。