履歴書に箔をつけるために職に就いていないか
ブログマラソンの最終日の「今日のTED」で紹介した動画の冒頭の方に、こんな言葉が引用されて出てきます。
「履歴書に箔をつけるために職に就くなんて、セックスを老後のためにとっておくようなものだ」
この言葉を聞いてちょっとドキッとしてしまいました(笑)。
自分の人生をちょっと振り返ってみて、こういう生き方をしてしまっていないだろうかとふと考えてしまうんですよ(セックスを老後にとっておくことではないですよ)。
履歴書に箔をつける。新卒入社で定年まで働くつもりだった頃はこんなこと考えたこともありませんでした。転職の必要が無ければ、履歴書を書くこともありませんからね。
しかし、一度仕事を辞めて転職が当たり前の選択肢になった途端、履歴書という存在が自分の中でものすごく大きくなったのです。将来まともな職に就くためにも、経験を積んで自分をよく見せる必要がありますし、その自分の実績を見せる場こそ履歴書です。
でも「そんなこと考えながら生きるのってどうなの?」って思ってしまうんですよね。将来のためにこういう仕事をやっておこう、こういう経験を積んでおこうと考えるのは間違ってはいないと思いますが、場合によっては履歴書に箔をつけることそのものが目的となってしまいかねません。
何だかこのまま履歴書に箔をつけることだけに夢中になって人生終わってしまうのでは無いか? そんなことを考えると恐怖を感じますし、気が気ではありません。大げさではなく実際起こり得ることだと思うからです。
やっぱりやりたいことがあるなら今やるべきだし、将来だけに目を向けてしまうと人生楽しめないようなぁなんて最近本気で悩んでいます。
今はもちろんワーキングホリデーという期間限定つきで仕事をしているので、「この短期間でできるだけの経験をしよう」と思うのは当たり前なわけですが、同時にそれが言い訳にもなってしまいます。
本当にやりたいことがあって、その手段を知っているとしたらワーホリ途中でも切り上げて自分のやりたいようになるのが一番なはず。
私の場合、まだビザの有効期限があるからという理由だけでズルズルと滞在を伸ばしてしまいそうな気がしてなりません。仮に「これがやりたい」ということが自分の頭の中で具現化できたとして、それをやるには日本に帰らなければいけないとする。そんなときワーホリを途中で切り上げる勇気が自分にはあるだろうか? ワーホリの期間を有効に使ってもっと経験を積もう(履歴書に箔をつけよう)となってしまう気がします。
まぁそれはそれで良いのかもしれませんが、自分の気持ちに素直に従う方が大事なのかなぁなんて思います。現時点ではそもそも具体的にやりたいことなんて無いので、面白そうだと思えることにただ飛び込んでいっているだけなわけですが(だからこそカナダにワーホリに来たということもある)。
いずれにせよ、このまま履歴書に箔をつけるような生き方を続けてしまうことはセックスを老後のためにとっておくことと同等らしいので(笑)、そうならないように意識して生きたいですね。
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