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破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

『フェルマーの最終定理』から学ぶ情熱の底力と数学の面白さ

読書レビュー

ブログマラソン246日目。

 

 『フェルマーの最終定理』から学ぶ情熱の底力と数学の面白さ

 

本日は久しぶりの読書レビューです。メルボルンの図書館で見つけた『フェルマーの最終定理』。

 

 

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 

 

私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない

 

17世紀にフランスの数学者ピエール・ド・フェルマーによって残されたこの言葉により、数学界最大の難問への挑戦が始まり、20世紀の終わりにイギリスの天才数学者アンドリュー・ワイルズによって証明されるまでの軌跡を追った壮大なドラマが本書に描かれています。

 

当然この物語の主人公は、「フェルマーの最終定理」を証明に導いたワイルズです。しかし、この定理の大元となっているピタゴラスの時代から始まる数学史を織り交ぜながら、何人もの数学者がこの難問に挑戦する中で味わった挫折・苦悩、そしてその過程での新しい発見などが描かれており、決してワイルズの半生を描いただけの作品に留まっているわけではありません。

 

本文中にも説明が出てきますが、この「フェルマーの最終定理」をめぐる物語が非常に面白くなっている背景には、定理そのものが非常にシンプルで分かりやすいという点が寄与していると思います。私たちが中学校で習うピタゴラスの定理(三平方の定理)と同じ形で、「n(べき指数)が3以上の場合は自然数の解を持たない」というのがフェルマーの最終定理です。詳細はWikipediaに譲ります。

フェルマーの最終定理 - Wikipedia

 

このフェルマーの最終定理への挑戦の過程で構築される、様々な数学テクニックやパズルの問題などの数学そのものの面白さ、それぞれの時代背景を映して描かれる数学史の面白さ、そして何よりワイルズを始めとする幾多の天才数学者が織りなす人間的ドラマの面白さが見事に折り重なっているのが本書の魅力です。

 

ワイルズの情熱

7年間家族以外の誰にも自分の研究していることを話さず、ただただフェルマーの最終定理を証明することに自分の情熱を注ぎ続けたワイルズ。ついに証明にこぎつけたと思いきや発表した論文に欠陥が見つかり、一度は失意のどん底へ。それでも諦めず、1年後にその欠陥を見事に修正し3世紀以上続いた難問に終止符を打ち、物語は終焉となります。

 

300年以上誰も証明することができなかった問題に対して、自分の人生を賭ける勇気がすごいと思うのです。1-2年やって諦めるというわけでもなく、7年間(論文の欠陥の修正作業を合わせると8年間)も「フェルマーの最終定理」を証明するために情熱を燃やし、それを持続し続けた。その子供のころに持った夢を最後まで諦めなかったその情熱はすさまじく、証明にこぎつけた場面や、欠陥が見つかり一時絶望している部分などでは涙を流しながら読んでしまいました。その情熱があったからこそ、人を感動させる力も大きいのだと思います。

 

1つ重要な点は、仮にワイルズがフェルマーの最終定理を証明できていなかったとしても、それまでに費やしたことは決して無駄にはなっていなかったということです。実際、数学の発展という意味ではこの定理そのものの証明にはほとんど価値はなく、証明に挑戦してきた過程で作り上げられたその他の数々の定理こそ意味を持つものです。いうまでもなく、ワイルズはそれらに大きな貢献をしているわけで、フェルマーの最終定理を証明できていなかったとしても、特別な意味を持つものだったでしょう。ワイルズ自身も情熱を傾けられる問題が存在していたという事実のほうが大きなことだったのではないでしょうか。

 

目に見える成果につながらなかったとしても、自分の情熱を注ぐ対象を見つけ、それにひたすら打ち込むこと。一瞬の情熱ではなく、持続的に取り組むこと。情熱の底力は強大で、ワイルズほどスケールの大きなものでなくても、持続的に情熱を注げる対象を見つけた時点で人生の充実度は大きく変わるのではないかと本書を読んで感じました。

 

数学そのものの面白さ

また、本書においては数学そのものを楽しめるという点も見逃せません。例えば背理法や帰納法などの証明テクニックは非常に分かりやすく書かれていますし、完全数や友愛数など数字が持つ性質などにも非常に興味をそそられます。高度な数学的知識が無くても読み通せるように工夫されているので、数学嫌いの人にも受け入れられるかと思います。楕円方程式が出てくるあたりから数学的内容が難しくなっていますが(私は途中から完全理解を諦めました(;´・ω・))、内容そのものよりもフェルマーの最終定理がどの定理とどのような関係を持っているかを抑えておけば主旨を外さず問題なく読み通すことができます。

 

また、数学者が数学に取り組む姿勢や思考方法を垣間見られるところも興味深い点です。例えば物理学における理論は、「このように仮定すればこの現象は説明できそうだ」という仮説で成り立っています。多くの実験を重ねることでその仮説に説得力を持たせているわけですが、完全に証明されているわけではない場合がほとんどで(というより証明できない)、別の仮説がその現象をより正確に説明していれば、その仮説に取って変わられる可能性があります。

 

一方、数学では予測を立ててそれが証明されれば「定理」となります。一度完全に証明された定理は絶対的存在であり、その事実が揺らぐことはありません。逆に言うと証明されるまでは、それがどれだけ正しそうに見えてもあくまで予測でしかないのです。例えばある法則が1から100万の数字の範囲で成り立っていたとしても、それ以上の数字では成り立たなくなるという可能性があり、その法則を定理とするためには論理的に証明しなくてはいけません(実際、そういった法則は存在するということが本書の中でも紹介されています)。

 

無限という概念がある以上、1億個調べても、1兆個調べてもそれらが有限の数値である限り、数学者にとっては予測の域を超えることができないわけです。こういった数学が持つ完全性こそ、この3世紀に及ぶドラマが繰り広げられた理由でしょう。物理学の世界だったら、実験を繰り返して反例が出ず、十分説得力を持つものであれば「その仮説は正しい」と認識されてどんどん前に進んでしまいます。

 

この数学が持つ完全性は、明らかに他の分野の学者とは違う思考を作り出しています。本書の中で、その数学者の思考をわかりやすく表現した小話を記述している部分があるので紹介します。

 

スコットランドで休暇を過ごしていたそれぞれの学者が、列車の窓から原っぱを眺めたときに目にとまった1頭の黒い羊について応じた言葉で、

 

天文学者 「これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだ」

物理学者 「何を言うか。スコットランドの羊のなかには黒いものがいるということじゃないか」

数学者  「スコットランドには少なくとも一つの原っぱが存在し、その原っぱには少なくとも一頭の羊が含まれ、その羊の少なくとも一方の面は黒いということさ」

 

 

それぞれの分野の学者の思考を端的に示している小話で面白いですよね。証明がされないうちはいかなる主張も認めないという数学者の緻密さは、私みたいに適当な人間からすると尊敬の的です。一見頑固に見える考え方でも、こういった人達がいるからこそ科学の世界は進歩してきたわけで、私自身工学とはいえ理系に属していた人間として恥ずかしく思います。まぁだからこそ理系辞めたのですけど(笑)。

 

まだ残る謎

また、フェルマーの最終定理が証明されたとはいえ、まだそこには謎が残っています。それは17世紀にフェルマーはどうやってこの証明をしたのかということ。ワイルズの方法は20世紀の数学テクニックを駆使したものであり、17世紀にフェルマーが同じテクニックを既に身につけていたとは考えられず、結局フェルマーが「余白が無いから証明はかけない」などという言葉を残したことで、未だに謎が残っているままとなっているわけです。

 

別の証明方法があるのか、ただフェルマーが証明できたと思い込んでいただけか。そんないまだに残されている謎もこの物語のちょっとしたスパイスになっている気がします。フェルマーは証明できたと思い込んでいただけという意見が大半のようですが、これは残念ながら証明不能な命題です。

 

仮に17世紀時点のテクニックだけで新たに証明がなされたとしても、同じ手法をフェルマーが使ったことの証拠にはなりません。どんな条件でも予測の域を超えることはできず、これは数学者には受け入れられないことですよね。フェルマーが当時証明していたのかどうかは永遠に謎のままということになり、これだけの壮大なドラマを生み出した張本人フェルマーは「人智を超える素晴らしい証明をやってのけた」可能性のある数学者であることは永遠に変わらないわけですね。この部分については本書の主旨からは外れていますが、私にとってはこれも興味深い話の1つです。

 

最後に

私にとって興味深いことに、この本を読む前に『人間の建設』という数学者の岡潔と批評家の小林秀雄との対談本を読みました。既に図書館に返却してしまっているので厳密には思い出せないのですが、この中で岡氏が、数学は人間の感情とともにあるというようなことを述べていました。 

人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)

 

 

その本を読んだときにはあまり理解できなかったのですが、『フェルマーの最終定理』を読んだことでその意味が何となく分かった気がします。徹底的な論理で作り上げられた、一見無機質に見える数学も、無感情でただただ論理が構築されてきたわけではなく、そこには明らかに人間の感情が含まれていたと考えられます。このフェルマーの最終定理そのものが良い例で、その定理を証明すること自体が数学の発展に寄与するわけでは無いにも関わらず、多くの人を巻き込んできた背景には、人間の感情が関わっていたはずです。

 

学問の発展という観点で考えれば、フェルマーの最終定理の証明に挑むのは時間の浪費ともとらえられます。しかし、それぞれの数学者には意志があり、好みがあり、コンピュータがなしているような単純な計算能力といったものとは一線を画していると思います。フェルマーの最終定理をめぐる様々なドラマは、人間の感情によって突き動かされており、数学の定理というものが機械的に証明されてきたというわけではなく、そこには明らかに感情が介在しています。

 

本当に偶然ではあるのですが、事前に『人間の建設』を読んでいたことで、何となく『フェルマーの最終定理』を読む準備ができていたような気がしてなりません。自分が立て続けに読んだ本に、ちょっとしたつながりがあったことを発見できるのもまた面白い体験です。

 

まだまだ書きたいことはあるのですが、もはや収束不能になっているので(この時点で既にまとまりがない)、別の機会に取っておくことにします。

 

本作はここ最近で読んだ本の中では断トツに面白かったです。普段あまり触れる機会のない数学の世界にのめりこめる、知的でドラマティックなノンフィクションであり、メルボルンの図書館で見つけたのは正直いうとラッキーでした。難しいテーマを扱いながら、丁寧な説明と分かりやすい文章で書かれていて非常に読みやすかったです。ただどうしようもないくらい数字アレルギーを持っている人にはお勧めしません(笑)。

 

新年早々、良い本との出会いがあったので、今後もちょくちょく読書レビューを書いていこうかなと思っています。