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破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

ブログマラソン187日目 - 走ることの意義を改めて考えてみる - なぜいつまでもビギナーのままなのか

ブログマラソン187日目。

 

走ることの意義を改めて考えてみる - なぜいつまでもビギナーのままなのか

 

ランニングを始めて約6年。今まで出場した大会は数知れず、海外のマラソンにも出場してきました。

 

しかし今までのレースの記録を振り返ってみると、この6年間でほとんどタイムは変わっていません。距離によっては落ちているくらいで、いつまでたってもビギナーの域を超えません。

 

練習不足と言われればそれまでだし、それがタイムの伸びない一番の原因なのは否定することはできません。問題はこれだけ長く続けているのに、なぜいつも練習不足の状態になってしまうのかということ。結局のところ、ランニングを続ける情熱が無く、それを支えるための具体的な目的も無のが成長できない理由だと考えています。

 

それぞれのランナーの方が色々な想いをもってランニングに取り組まれていると思います。真剣にスポーツとしてタイムを狙う人、コミュニティに参加して楽しく走る人、ダイエット目的の人。走り始めたきっかけは人それぞれでしょうし、走り続ける理由も人それぞれでしょう。

 

私が走り始めたのは単純に運動不足解消のためでした。ふとしたきっかけで大会にも参加するようになり、そのままのめり込んでいったのです。しかし、最近なぜ走り続けているのかと自分に問いかけたとき、全く答えることができなくなっています。ひたすら続く同じようなルーチンワークに疲れて来てしまっているのかもしれません。

 

今までは一定の距離を完走するだけで得られていた満足感が、最近では次第に薄れてきています。そのため、ランニングで満足感を得るにはタイムを伸ばすしかない状況なのです。もちろん少しでも速く走りたいという想いはあります。しかし、タイムを伸ばすためにそこまで真剣に練習に取り組めるほど、スポーツとしてのランニングにのめり込んでいるわけではありません。

 

また、以前に自分で書いた記事ですが、走ることによって得られるものについて下記の通り書いています。

 

それでは苦痛以外に存在するものは何か。それはある種の期待感だと思います。これを走り終えたらまた一歩前に進めるかな、これを毎日続けたら自分はどれだけ強くなれるのかな。走ることによって走った後の自分に期待することができるわけです。

 

また私の場合、走り終えた後は必ず満足感を得ることができます。ただ「走った」という事実に、少なからず現状の自分に変化をもたらしたという実感、あるいは何かを成し遂げたことと同等の感覚を覚えることが出来るからかもしれません。既に述べたように、走ることには苦痛が伴うので、その苦痛を乗り切ったという事実が走り終えた後の満足感につながるのだと思います。今日もよくやったなと。よほど無理をしない限り、走った後の疲労は心地よいものです。わざわざ大会に出て力試しをしなくても、この心地よい疲労が、自分が少しずつ成長しているという実感を与えてくれます。

走ることの意義 - 思い付きニュージー

 

もう2年前の記事になりますが、この当時と今では明らかに考え方が変わってしまっています。今の私には、ただ「走った」だけでは大した変化は得られないというマイナスのイメージが植えつけられてしまっています。走った後の疲労も心地よいとは思えないのです。

 

私は走ること自体を楽しいと思っていませんし、それは走り始めたときから同じです。あくまでも走った後に得られる達成感や満足感のみを求めて走っていました。しかし、そのような走り方に限界が近づいているようです。

 

ある意味今自分がこのように考えているのは、次のステップに進むための知らせだとも思えます。いつまでも同じ考え方、同じ走り方をしていても成長無くただただ時間が過ぎていくだけ。一度こうやって真剣に悩んでみるのも、ランニングに対する姿勢を改める意味ではよいのかもしれません。

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