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ブログマラソン112日目 - 目標を達成するために、頑張るべきか努力すべきか

ブログマラソン112日目。

 

目標を達成するために、頑張るべきか努力すべきか

 

自分の設定した目標を達成するためには、頑張るのでは無く、頑張らなくていいように努力するという視点に変える必要があると私は考えています。

 

私の認識では、頑張ることと努力することは違います。頑張ることは、我慢して耐え抜くこと、辛抱強く物事に取り組むこと。一方、努力することは、目標を達成するために精を出すことであり、それを達成するための最善の道を選ぶ工夫が含まれているべきだというのが私の考えです。

 

目標を達成するための過程で頑張ることは必要になるかもしれませんが、がむしゃらに頑張るだけでは努力とは言えないですよね。最短距離で目標に辿り着くために、無駄な頑張りを削る工夫も必要だと思います。

 

ランニングを例にして考えてみます。自分が達成していない目標で恐縮ですが、フルマラソンでサブ3を達成するのが目標だとしましょう。

 

「頑張る」人は、とにかく毎日走ります。同じことを繰り返して辛抱強く取り組むことが得意なので、とにかく思うがままに走ります。

 

一方の「努力する」人は、サブ3を達成するためには何が必要で、どのような課題に取り組むべきかを考えます。ただがむしゃらに走るのではなく、目標達成のためには人によって色々なアプローチがあるはずです。いきなり走り始めるのではなく、走り方を研究したり、練習のメニューやスケジュール作りをしたり、体作りのための筋力トレーニングや食生活の見直しをしたりするでしょう。様々な選択肢を考慮して、自分に適した方法を見つけて取り組む。その過程で課題が見つかったら、都度見直して修正する。「努力する」人には、目標を達成するための工夫が見られます。もちろん、その過程の中で頑張って走ることが含まれているのは言うまでもありませんが、何も考えずに頑張って走るのとは違います。

 

仕事でも同じように、頑張る人と努力する人の差が見られると思います。ひたすら与えられた仕事を「頑張って」こなすのか。あるいは、優先順位を付けて重要な仕事を先に終わらすようにしたり、あるいはそもそも自分の許容量を超える仕事や関係の無い仕事は断るようにしたりして、自分の状況を良い方向に持っていくよう「努力する」のか。どちらが本人にとって良いかは明白です。

 

頑張ることを否定するつもりはありませんが、ただがむしゃらに頑張るのは、思考を放棄して努力することから逃げているに過ぎません。目標を達成するために努力するとなると、必要によってやり方を変えたり、環境を変えたりしなければなりません。今までとは違うことをするので、不安に思ったり、面倒だと考えたりしてしまいます。そんな思いがあるからこそ、与えられた環境でひたすら「頑張る」という選択をしてしまう。いや、あらゆる選択肢を考慮して最善の道を選ぶための過程が努力だとしたら、現状維持の頑張りは選択することすら放棄しているのかもしれません。

 

こんなことを書いている理由は、ふと自分のことを振り返って、自分は果たして努力をしているのか? と考えてしまったからです。自信を持って頑張っているとは言えるけれど、努力をしているとは言い難い気がします。ランニングの例に出した、「ただがむしゃらに走る」ことが、正に私がやっていることそのものなのです。

 

もちろん頑張ればそれなりの成果は表れますし、頑張ってさえいれば目標に近づくことはできるでしょう。しかし、その過程で失われる時間を考えると決して効率的とは言えませんし、もう一段階上に上がる工夫は絶対に必要です。

 

最近、時間は有限であるという意識が日に日に強まっています。特に本を読んでいるときに、なぜだかそういう類の言葉によく出くわすのです。もしかしたら自分の意識が変わったことで、今まで気にしていなかった言葉に強く反応するようになっただけかもしれません。

 

「努力しよう」と思ったときに、いつの間にかその言葉が「頑張ろう」になってしまっている。頑張るだけの人間から脱却するために、思考し、選択し、工夫して努力できる人間になりたいものです。

 

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