破天荒な海外生活ブログ

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ブログマラソン95日目 - 私とは何か

ブログマラソン95日目。

 

私とは何か

 

平野啓一郎著『私とは何か – 「個人」から「分人へ」』を読みました。タイトルを見ると哲学的な本のように見受けられますが、結構現実的な話が書かれています。

 

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この本の主題である「分人」。もう分割できないとされている「個人」という単位を様々な分人の集合体と捉える、という考え方は非常に興味深かったです。親と話している自分、友人と話している自分、好きな人・嫌いな人と話している自分、一人で読書をしたり、ブログを書いたりする自分。相手によって、あるいは自分が取り組んでいることによって人の話し方や心の持ちようは変わり、個人の中で様々な「分人」が形成されます。では本当の自分とはどの自分なのか? それは全ての分人が本当の自分であり、個人は全ての分人の集合体であるという考え方はすごく面白いです。

 

例えば店で買い物をするときに、店員の人に対して必要以上に愛想よく振る舞ったり、明るく振る舞ったりする必要はありません。重要な関係では無いので、社会的分人を形成する必要がないわけです。しかし、仕事や趣味の仲間同士であれば、何度も会って話をしている内に自分は相手に対する新しい分人を形成し、相手もまた自分に対する新しい分人を形成します。

 

特に仕事の同僚や、同じ趣味を持つ友人など一緒に過ごす時間が長い人達、つまり自分の分人の構成比率が高い人達に対する関係性をいかに良いものにするかが、「個人」を形成する上で重要になります。それ以外の人との関係性が悪化していても、良い分人が個人の多くを占めていれば、悪い部分をカバーしてくれますよね。

 

また、著者は本作の中で、コミュニケーションについて下記のように言及しています。

 

コミュニケーションが苦手だと思っている人は、その原因を相手を魅了する話術の不足に求めがちだが、むしろ相互の分人化の失敗というところから考えてみてはどうだろうか。重要なのは、まず柔軟な社会的分人がお互いの内にあることだ。

 

 

私自身、コミュニケーションが非常に苦手だと考えています。そのことがどれだけ自分を苦しめ、どれだけ今までの人生で損をしてきたかと考えて自己嫌悪に陥ってしまうほど、人と話すのが苦手なのです。そして、著者の言うとおり、私はいつもその原因を単純に話す能力の欠如だと断定してきたのですが、今回この本を読んで、「なるほど、こういう考え方もできるのだな」、と素直に感心しました。

 

確かに私は人と話すのが苦手とはいえ、ちゃんと気軽に話せる相手もいるのです。相手が話をリードしてくれるなど、相手のおかげで私も話せるという場合がほとんどですが、結局コミュニケーションってそういうことなのですよね。どんな形であれ、私がちゃんと話せる相手に対しては良好な分人が形成されています。単純にそういう人達と会う時間、話す時間を増やして、彼らに対する分人の構成比率を高めてしまえば、私という「個人」は結果的にコミュニケーションに優れた人間であると捉えることも可能です。

 

たくさんの人と気兼ねなく話せるということがコミュニケーションの定義であれば話は別ですが、友人が多ければよいという話でもないし、自分の中で心地よくいられる分人を形成できる人との付き合いを深めていけば、それはそれで充実したコミュニケーションができているのではないでしょうか。

 

私としては、話すのが上手いに越したことは無いし、そうなりたいとも思っています。もっと積極的にコミュニケーションがとりたいのです。しかし、現実それをできていない自分にぶち当たるといつも憂鬱な気分になり、自分のことを嫌いになってしまいます。逃げるわけではありませんが、この本を読み、コミュニケーションに対して今までと違う考え方ができるようになったので、自分にとっては価値のある読書となりました。