破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

メルボルンの日本人ワーホリメーカーたち

メルボルンはシドニーやゴールドコースト、ケアンズなどに比べれば日本人が少ないと言われていますが、個人的に実感しているのが「とにかく日本人がたくさんいる都市」ということです。


私はオーストラリアの最初の目的地としてアデレードを選びました。その理由は、多くの人が行かない場所に行くことで他の人と異なる経験をしてみたかったのと、その場所は必然的に日本人が少ないからです。実際、アデレードでは多分日本人かなぁと思う人を何人か見かけた程度で、日本語を一度も話すことも聞くことも無かったです。オレンジピッキングをやったワイカリーでも偶然1人の日本人と会いましたが、特に話すことも無く、イギリス人やカナダ人に囲まれて完全なる英語環境で生活していました。

 

メルボルンに到着した後も最初の2週間はバックパッカーに滞在しており、そこもまた欧米系の人しかいなかったです。大都市なので、日本人たくさんいるだろうなと思って覚悟して来ていたので何となく当時は拍子抜けした気分でした。メルボルンって全然日本人いないのかと。当然英語を学びに来ている私にとっては願っても無い環境だったわけですが。

 

しかし、今の仕事場に移ってからというもの、本当に多くの日本人と会うことになりました。オーストラリアに来てから最初の2か月が嘘のように毎日日本語を話す日々。やはり世界で最も生活しやすい都市第1位に選ばれる都市だけあります。日本人にとってはバックパッカーという場所があまりなじみが無いのと、都市部のバッパーは非常に値段が高いこともあって滞在する人がほとんどいないのでしょう。おそらくなじみがあるのはYHAくらいでしょうか。

 

海外にいるにも関わらず、これだけ多くの日本人と接点があることに対して、個人的には違和感を感じています。もちろん海外で出会うからこそ、同じ目標や決意を共有することができ、日本に帰国した後もつながりができる可能性は高いので、海外で日本人の友人を作ることを一概に否定するわけではありません。しかし、一日の多くの時間を日本人と過ごし、日本語を話している人を見ていると、何だか勿体無いと思ってしまいます。英語を学んだり、他の国の文化に触れられることこそが、海外にワーホリで来る最大のメリットだと思うからです。

 

私が海外に来て意識してきたのは、日本にいても出来るようなことをなるべく避けるということ。今までの海外生活1年半を振り返ると、決して自信を持って達成できたとは言えませんが、それでも自分なりに努力して海外ならではの環境に身を置いてきたつもりです。3,4年前は30歳になるまでに英語を話せる、あるいは何もきっかけをつかめなかったら英語学習に費やすことを一切止めようと決意していました。しかし幸運にも海外へ出てくる決断をし、英語を使う機会をたくさん得ることができ、これからも英語と関わっていくことを確信を持って言うことが出来ます。最低限の英語力を身に着けることが出来たので、最近は日本人と関わって、日本語を多用することに躊躇が無くなってきています。

 

やはり周りの日本人と同様に、「あいつ日本語ばっか喋ってるな」とは決して思われたくはないですし、私の英語力は最低限ビジネスができる程度のレベルで、正直いうと未熟そのものです。本格的に海外で仕事をできるようになった今だからこそ、原点に立ち返って「海外ならでは」を意識した生活をしなくてはいけないと感じています。