破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

自殺へ向かう引き金は何だろうかと考えてみる。

今日の話題は日経ビジネスのこちらの記事。

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 自殺を真剣に考える人、自殺未遂に至る人って本当に多いんですね。


この記事に出てくる数字は結構自分にとって衝撃的です。日本に自殺者、自殺未遂者が多いことは知っていますが、まさかこれほどまでの数字に上っているとは露にも思っていませんでした。


「死にたい」って思う人はたくさんいると思います。現に私は一たびベッドに入ると毎晩のように「もう死にたい」とか「生きている価値なんか無い」とか思いながら眠りにつきます。そんなことを考えるものだから、勿論全く眠れなくなってしまうこともしばしば。


しかし「死にたい」とか思っていながらも、自分は決して自殺はしないという確信があります。それはなぜか? 大きな挫折を経験したことがなく、またこれからもそうなるリスクは今のところ限りなく低いと考えているからです。


自殺へと向かわせるトリガーってやっぱり人間関係のトラブルなんだと思います。上司・同僚とのトラブル、恋人や友人とのトラブル、あるいは家族とのトラブル。

 

「離婚」「事業不振」「失恋」「倒産失業」「家庭内暴力」「家族の不和」「子育ての悩み」――。20代、30代が自殺未遂に至った原因には、人間関係に関するものも多く含まれている。


私は今結婚していないので離婚することはないし、恋愛をしていないから失恋することもありません。日常的に連絡を取る友人は1人もいないから、友達関係のトラブルに巻き込まれることもない。ブラック企業に勤めているわけでもないし、仕事で大きな責任を持っているわけでもない。養う家族もいなければ、世話をする後輩もいない。上司にがみがみ言われることもなければ、誰かに相談することも相談されることもない。


別に好き好んでこんな状態に陥っているわけではありませんが、現実問題としてこうなんだから仕方がない。人間関係が想像を絶するほど薄っぺらいため、トラブルが起こる確率が限りなく低いのです。何事にも挑戦していないこともあり、大きな挫折に繋がることはありません。


結局私が死にたいと思う理由は単純で、自分自身のことがどうしようもなく嫌いなだけなのです。嫌いで嫌いでしようがない。でもそれはただの自己嫌悪であり、自分の中だけの問題です。だからこそ私の場合、自殺への引き金が引かれることは無いと思うのです。


記事の中にもあるように、

 

死について考えたり、死んでしまいたいという思いが“頭をよぎる”ことは、誰にでもあるだろう。だが、それと具体的な死の手段を考え、“実行する”ことは全く別。たとえそれが、未遂、に終ったとしても、だ。


私のように毎晩のように死にたいと考えるのはちょっと異常なのかも知れないですが、具体的な手段を考えて実行することは無いという意味では、私自身は自殺予備軍には含まれないと勝手に考えています。いつどうなるのかは知りませんが。


だからこそ本当に行動に移してしまう人は、何らかの人間関係のトラブルを抱えているのではないでしょうか。何だかんだ言って人間関係って難しいよなって思います。私は深い人間関係というものを作るのが非常に苦手なので、その人間関係が壊れたり、ねじ曲がったりする不安や恐怖というのを身を持っては知りません。


人間関係の歪みから自殺という行為が生まれるのだとしたら、歪みようのない人間関係しか持たない私にとっては、自殺とは無縁なのだろうと思う。


第一自分は臆病なので、強烈な肉体的苦痛と精神的苦痛を味わってまで死にたいとは思わない。例え自分が無価値な廃人だと思っていても、廃人は廃人なりに行きていこうと思う。


幸か不幸か孤独には慣れてしまっています。これも好き好んで孤独を選んでいるわけではないので、惨めと言えば惨めだけれど、慣れてしまったのだからしょうがない。


別にこの話に結論も目的もありません。ただ、たまたまこの記事を見て、毎晩「死にたい」と思っている自分が、決して自殺という選択肢を取らないだろうなという理由や心情を考えてみたくなっただけでした。