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破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

プラスマイナスゼロ

あぁ眠い。寒い。


ブログ記事を書き終えるまで寝られないというのは、今の自分にとっては拷問のように思えてきた。


7時過ぎには家に着いたはずなのに、気付けばもう10時半。3時間半何もせず。何も思いつかないし、何もしたくない。


最近こんなのばっか。人生を無駄に過ごすということのお手本のような生活。


いっそのこと思いっきりマイナスに振ることで負のエネルギーを溜めて、そこから盛り返すという方がまだ刺激的な気がするけど、今の自分はニュートラル。プラスマイナスゼロ。0に何を掛けても0。全く前に進みはしない。

余計なことは聞いてくれるな、SUBWAY

SUBWAYといえば、サンドイッチのファーストフードチェーンです(地下鉄の方じゃなくてね)。

 

私は日本では利用したことがありませんが、オーストラリアで、そしてここカナダでも頻繁に利用しています。同じファーストフードでもマクドナルドに比べると大分安いし、野菜を好きなだけ挟めるという点において、ファーストフードの中ではまだ健康的であるといえます(マックに比べればましという程度ですが)。

 

そんなSUBWAYですが、オーストラリアで初めて利用したときは、注文するときメチャクチャ緊張しました。日本で利用したことが無かったのでまずシステムがよく分からない上に、それを英語でやらなくてはいけないというのはなかなかハードルが高いものです。

 

勘違いされている方もいらっしゃるかと思いますが、英語で注文するとき普通のレストランとファーストフード店どっちが簡単かと言ったら、大体においてレストランの方が簡単です。「ファーストフードの方が簡単じゃないの?」って思うじゃないですか。確かにメニューを見ながら指さして注文するのであれば、どっちも変わらないかもしれませんが、普通に自分の言葉で注文しようとすると、ファーストフードの方が難しいです。

 

なぜファーストフードの方が難しいかというと、店員の話すスピードが半端ないから。ファーストフードというだけあって速さが売りですし、店側も早口でばんばん客をさばいていきます。しかもチェーン店ならではのマニュアルが確立したやり方によって、口に出すフレーズが基本的に決まっており、店員が言い慣れているせいか、とにかく喋るのが早い。だから言っていることがよく聞き取れず、うまく注文もできないというような事態が生じるわけです。

 

その難しさが特に顕著に出ているのがSUBWAYだと思っています。マックとかだと何とかバーガーのセットとか言うだけで注文は確定します。しかし、SUBWAYの場合、そんな簡単にはいきません。サイズを選んでメニューを選んで、パンの種類を選ばなくてはいけません。それでもって「チーズは入れる?」だの「トーストする?」だのと聞いてくる。

 

野菜を選ぶ段階になると、今度は自分でどの野菜にするか英語で伝えなくてはいけない。レタスとかトマトとかならまだしも、英語で何て言っていいか分からないともう駄目。あれもこれも入れたいのに、結局3-4種類で終わってしまったりね。そんでもって「ソースはどうする?」何てまた超早口で聞いてきて、これまた聞き取れない。

 

ようやく注文が終わったと思ったら、会計時に「コンボはどうする?」とこれまた例によって例の如く早口で聞いてくる。

 

私はもう行きつけになっているので慣れています。それでもまだ聞き取れなかったりするのです。もはや流れを熟知しているので、聞き取れなくても聞かれている内容が分かるのでどうにでもなるのですが。

 

しかし、この前エッグサラダを注文した際、「卵をパンに挟んでからトーストするか、トーストしてから卵を挟むか?」なんていうトラップを急に仕掛けてきやがった。2回ほど聞き返して、ようやく言っていることを理解したのですが、「おいおい、そんなこと今まで聞いたことなかったろう」と心の中で愚痴りましたよ。正直慣れてしまっているせいで、もはや何も考えずに注文を進めているので、普段聞かれないことを聞かれると急に戸惑ってしまいます。

 

もうほんと、「余計なことは聞いてくれるな、SUBWAY」という感じなわけです。

自殺へ向かう引き金は何だろうかと考えてみる。

今日の話題は日経ビジネスのこちらの記事。

business.nikkeibp.co.jp

 

 

 自殺を真剣に考える人、自殺未遂に至る人って本当に多いんですね。


この記事に出てくる数字は結構自分にとって衝撃的です。日本に自殺者、自殺未遂者が多いことは知っていますが、まさかこれほどまでの数字に上っているとは露にも思っていませんでした。


「死にたい」って思う人はたくさんいると思います。現に私は一たびベッドに入ると毎晩のように「もう死にたい」とか「生きている価値なんか無い」とか思いながら眠りにつきます。そんなことを考えるものだから、勿論全く眠れなくなってしまうこともしばしば。


しかし「死にたい」とか思っていながらも、自分は決して自殺はしないという確信があります。それはなぜか? 大きな挫折を経験したことがなく、またこれからもそうなるリスクは今のところ限りなく低いと考えているからです。


自殺へと向かわせるトリガーってやっぱり人間関係のトラブルなんだと思います。上司・同僚とのトラブル、恋人や友人とのトラブル、あるいは家族とのトラブル。

 

「離婚」「事業不振」「失恋」「倒産失業」「家庭内暴力」「家族の不和」「子育ての悩み」――。20代、30代が自殺未遂に至った原因には、人間関係に関するものも多く含まれている。


私は今結婚していないので離婚することはないし、恋愛をしていないから失恋することもありません。日常的に連絡を取る友人は1人もいないから、友達関係のトラブルに巻き込まれることもない。ブラック企業に勤めているわけでもないし、仕事で大きな責任を持っているわけでもない。養う家族もいなければ、世話をする後輩もいない。上司にがみがみ言われることもなければ、誰かに相談することも相談されることもない。


別に好き好んでこんな状態に陥っているわけではありませんが、現実問題としてこうなんだから仕方がない。人間関係が想像を絶するほど薄っぺらいため、トラブルが起こる確率が限りなく低いのです。何事にも挑戦していないこともあり、大きな挫折に繋がることはありません。


結局私が死にたいと思う理由は単純で、自分自身のことがどうしようもなく嫌いなだけなのです。嫌いで嫌いでしようがない。でもそれはただの自己嫌悪であり、自分の中だけの問題です。だからこそ私の場合、自殺への引き金が引かれることは無いと思うのです。


記事の中にもあるように、

 

死について考えたり、死んでしまいたいという思いが“頭をよぎる”ことは、誰にでもあるだろう。だが、それと具体的な死の手段を考え、“実行する”ことは全く別。たとえそれが、未遂、に終ったとしても、だ。


私のように毎晩のように死にたいと考えるのはちょっと異常なのかも知れないですが、具体的な手段を考えて実行することは無いという意味では、私自身は自殺予備軍には含まれないと勝手に考えています。いつどうなるのかは知りませんが。


だからこそ本当に行動に移してしまう人は、何らかの人間関係のトラブルを抱えているのではないでしょうか。何だかんだ言って人間関係って難しいよなって思います。私は深い人間関係というものを作るのが非常に苦手なので、その人間関係が壊れたり、ねじ曲がったりする不安や恐怖というのを身を持っては知りません。


人間関係の歪みから自殺という行為が生まれるのだとしたら、歪みようのない人間関係しか持たない私にとっては、自殺とは無縁なのだろうと思う。


第一自分は臆病なので、強烈な肉体的苦痛と精神的苦痛を味わってまで死にたいとは思わない。例え自分が無価値な廃人だと思っていても、廃人は廃人なりに行きていこうと思う。


幸か不幸か孤独には慣れてしまっています。これも好き好んで孤独を選んでいるわけではないので、惨めと言えば惨めだけれど、慣れてしまったのだからしょうがない。


別にこの話に結論も目的もありません。ただ、たまたまこの記事を見て、毎晩「死にたい」と思っている自分が、決して自殺という選択肢を取らないだろうなという理由や心情を考えてみたくなっただけでした。

心が荒んでいると、どんなに住みやすくでもその街を好きにはなれない

毎月25日は家賃の支払日。本日10月分の家賃を納入し、これでバンクーバー生活も終わりが見えてきたなと、なんだかしみじみとなる。


ちなみに今住んでいるのは、ダウンタウンからバスで20分弱ほどのシェアハウス。寝室は1人で利用できているものの、キッチン、バスルームを計4人で共用という形。


家賃は月$600。今のレートでいうと日本円にして約4万6千円程度。光熱費、水道代、ネット代も込みなので、まぁ安いといえるのかもしれない。ただ不運なことにシェアメイトが常識のかけらもないアホ揃いなので、個人的には$600も払いたくない。ストレスが溜まる一方で、奴らに慰謝料を請求したいくらいだ。


まぁ何はともあれあと1ヶ月。最初は期待を胸に訪れたバンクーバーも、哀しいかな、今となっては早く離れたいという気持ちしかない。


行く場所行く場所嫌いになっていくのもどうなのかなと思うけれど、自分の心が荒んでいると好きになるものも好きになれない。街の住みやすさとか関係なく、結局のところそこでどんな思い出があったかでその街が好きかどうかが決まると思う。


結局自分の心の持ちようだよな、と。次に訪れる街を果たして好きになれるのだろうか。

ブログを意地でも続けるか否か。

最近、これ以上ブログを続けていくかどうか非常に悩んでいます。


「ブログを辞めます」と宣言するのは簡単です。別に誰に迷惑をかけるわけでもあるまいし、しょーもない雑記ブログなので辞めることによる影響はゼロに等しい。


結局は自分の気持ちの問題なんですよね。正直に言うと、今は辞めたい気持ちの方が強い。ブログ自体を辞めなくても、少なくとも毎日更新はしんどい。


毎日更新は既に2ヶ月前に一度途切れているのですが、途切れた理由はパソコンが一時的に使用不可になったからで、自分の意志とは無関係でした。


今はもう心が折れかけています。ブログを続けたいという気持ちはあっても、何かを考える力が著しく低下しているため、書くことが何も思い浮かばないのです。


誰にも迷惑かからないのなら、とりあえず毎日更新を辞めればいいじゃんて話なのですが、そんなに単純にはいきません。多分今辞めたら、そのまましばらく放置することになる。数ヶ月に1回の更新みたいになり、その内ブログを閉鎖するのが関の山。


最終的に辞めるのであれば、そんなに好きじゃなかったってことで、話は終わるのかも知れません。それでも自分としては簡単に辞められないのは、多少なりとも意地があるからです。


私は今まで仕事にしても趣味にしても、何かを長期間続けられたという経験が一切無く、ブログだけは奇跡的に続けられているのです。


特に仕事を転々としているという事実は、自分の中で結構なコンプレックスであり、仕事以外で「何かを続けている」というのは自分の心のより所になるのです。


だから今でも続けているのです。毎日毎日眠くて早く寝たいのに、ブログの毎日更新にこだわり、睡眠不足を助長しながらも続けているのです。

 

にも関わらず、最終的にはしょーもないことを記事にぶっ込んで終わる毎日。下らねぇなぁと毎日思いながら、ただただ意地だけで何かしら書いているというのが現状なのです。


少なくとも何かしらアウトプットしているから、しょーもないことでもやっている価値はあると思っています。しかし、今の生活に悪影響をもたらしていることもまた事実。


意地を取るか、生活の質を取るか。そうやって毎日悩みながらブログを更新している今日この頃です。

カナダで食べるチキンラーメン

本日の夕食。フードコートにてチキンラーメンなるものを食べてみた。


フードコート内で食べられる日本食などたかが知れており、今回のラーメンも普段テリヤキやらヤキソバ・ヤキウドンなどを提供する、いわゆるカナダ式日本食です。


たまに利用するところですが、別においしくて行っているわけではなく、選択肢が少ないから仕方なく利用しているというお店。


ラーメンを頼むのは今回が初めて。テリヤキチキンなどの味を知っているだけに、端から期待などしていませんでした。何となくご飯より麺の気分だったこと、たまには新しいものを頼んでみようというちょっとした冒険心からの注文でした。


出てきたのはこんなの。

 

 
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食べてみた結果・・・

 

 

「マ、マズい・・・」

 

 

ただ何だか予想通りだったので、特別驚きはありませんでした。麺は堅いし、ていうか麺同士がくっついていて固まりをそのまま噛みちぎっているような感じでした。スープもまずければ、野菜もまずい。


食えたもんじゃない、とは言わない。歴とした人の食べる食事だし、私は比較的粗食に耐える人間なので、許容範囲ではあります。


問題は値段。税込みで$9.5ですよ、$9.5。$5だったら文句は言わないし、何なら何回でも食べてもいい。ただ$9.5払う価値は全くないです。高過ぎ。


鶏肉だけが可もなく不可もない、普通のものだったのが不幸中の幸い。鶏肉だけが救いのチキンラーメンでした。

退職が近づくとモチベーションが下がる悪い癖

今の仕事の契約終了までおよそ1ヶ月となりました。日本で仕事を辞め、ニュージーランドで仕事を辞め、オーストラリアでも仕事を辞めてきた私にとっては社会人になってから4度目の「退職」ということになります。4度目ともなれば、もう退職のベテランで、箔がついてきたかもしれない。こんなことに箔をつけても仕様が無いのだけれど。


しかし、この退職の際にどうも直さなくてはいけない悪い癖があります。それは、「もうすぐ終わり」だと思うと、モチベーションがだだ下がりしてしまうこと。


何よりも新しいことを吸収しようという姿勢が無くなってしまう。あと数週間しかないのに、この仕事覚えても意味ないよね、とまずそこで向上心が下がる。


せっかくの機会なのだから最後まで向上心を持って取り組むべきだとは思います。しかし、そんな高尚な気概は残念ながら持ち合わせておらず、仕事を辞める直前は決まってふぬけになるのです。


いや、勿論他の人に迷惑をかけないように、最低限の仕事はこなします。与えられた仕事は黙ってやるし、立つ鳥である私は、後を濁さぬ意識はさすがに持っています。


しかし、1ヶ月後に仕事を辞めるとなると、どうしてもチャレンジ精神というものが湧かなくなってしまうのです。目の前のことに集中せず、ただ呆然と先のことを考えているだけになってしまうんですよね。呆然と。


そもそも「退職」を経験する人自体が少ないとは思いますが、その中でも最後だからこそ思い切りやってやろうという人はいると思います。どうせ最後だからと思えば、多少の失敗も恐くなくなるかもしれませんしね。ラストスパートをかけて、今ある仕事の中で得られるものを得るという意識は大事だと思います。


さて、あと1ヶ月。どれだけモチベーションを取り戻せるだろうか。