破天荒な海外生活ブログ

ニュージーランド、オーストラリア、そしてカナダ。転々と放浪中

東武と西武 埼玉ローカルネタ

どストライクの地元ネタを東洋経済オンラインで発見したので、ちょっと紹介。

 

toyokeizai.net

 

私は埼玉県出身で、実家は東武東上線沿線にあります。高校は所沢の方だったので、まさに記事に出ている通り、東上線で川越市駅下車後、徒歩で本川越まで歩いて西部新宿線に乗り換えていました。

 

で、その乗り換えについて、

 

今年2月、西武新宿線・本川越駅に西口がオープンし、約350メートル離れた東武東上線・川越市駅との乗り換え時間が大幅に短縮されたのだ。

 (中略)

しかし、2月に西口が設置されたことでそれまで11分かかっていた乗り継ぎ時間は5分に短縮された。

 

 10分と書けばいいものをわざわざ11分と表現するあたりが、なんかリアル感が出ていて高校時代を思い出す。しかし今年一時帰国したときに、久しぶりに本川越まで来てみたのですが、この事実は知らなかったなぁ。思い出してみれば、昔は駅が目の前に見えるのにわざわざ大回りして歩いてたっけか。確かに西口ができたのなら私と同じルートを利用する人にとってはかなり便利になりそう。

 

しかも川越市駅から本川越までは住宅街でほとんど何もないので、1個手前の川越駅で降りて本川越まで向かうことも多かったのは私だけではないはず。移動時間が5分となれば、そんなことも気にする必要はなさそうです。

 

個人的には、川越は私の地元近くの街としては唯一訪れる価値があるところと言えます。

 

西武と東武が乗り入れる川越は自治体がインバウンド誘致に積極的だ。

 

とあるように、観光資源が少ない埼玉県の中では結構期待できる場所なのかもしれません。

 

goodman-australia.hatenablog.com

 

ティム・ホートンズの店舗ごとの違いが面白い

カナダで最も有名なカフェといえば・・・

 

goodman-australia.hatenablog.com

 

 

ティム・ホートンズです。私は今でも利用しない日は無いくらい常連と化しており、もうここ最近は、ティム・ホートンズに行かなかった日が思い出せないくらいなので、100日連続くらいで利用してるかもしれません。

 

ここバンクーバー市内には至るところにあるのですが、色々な店舗を利用してみて面白いなぁと思ったのが、店ごとによるスタッフの出身国(※)の違いです。店舗によってスタッフの出身国は非常に偏っており、日本人が多い、韓国人が多い、アラビア系が多い、ポリネシアン系(?)が多いなど、非常に大きな特色があるのです。

(※)カナダは移民が非常に多いので、国籍は不明。当然皆英語で話すので、見た目だけの判断です。

 

恐らくそれぞれの店舗のマネージャーに起因すると思われますが、まぁ自分の母国語が日本語だとしたら、日本人スタッフを雇った方が店を回しやすくなりますよね。

 

その偏りのためか、店舗によってカスタマーサービスの質が異なるように感じます(文化の違いと言うべきか・・・)。さすがにコーヒーの味までは変わらないけれど、店によって甘さが違うのが困る(笑)。

 

スタバなんかだと、砂糖やクリームはセルフサービスで調整できますが、ティム・ホートンズでは注文時に指定しなくてはいけません。「One and one(砂糖とクリーム1つずつ)」とか「Double Double(砂糖とクリーム2つずつ)」とかいう表現があるのですが、絶対適当にやってるんですよね。どこに行っても甘さが違うので、何がスタンダードなのか分かったもんじゃない(笑)。チェーン店なんだから統一してくれ。

 

まぁ安さが売りの1つなので、その辺は多めに見てあげなくてはいけないのかもしれませんが、もうちょっとちゃんとしてくれればいいのになぁとは思います。せっかく築き上げたブランドなんだから。いや、もしかしたら、そのざっくばらんなところが実は魅力の1つなのかもしれないけど。

過去を振り返って反省

ふと自分の過去の記事を見ていると・・・

 

goodman-australia.hatenablog.com

 

 

いやーもうね。しんどい(笑)。ここ最近は特に毎日更新がしんどいです。仕事終わってから寝るまでの間全ての時間をブログ更新に費やしてしまっているほど。書き始めてしまえば30分から1時間で仕上がるのですが、ネタを絞り出すことに相当な時間が費やされてしまっています。

 

最近自分がいかに単調な生活を送ってしまっているのかということを実感します。旅行に行けば旅行記が書けるし、何かイベントがあればそのイベントについて書けるのですが、ここ最近は全く何もなし。ただひたすらメルボルン生活最終日が来るのを待っているだけの状況なのです。

 

 

何か今の気持ちと全く同じ。8か月くらい前の記事ですが、何の成長もしてないですね。メルボルンをバンクーバーに置き換えればそっくりそのまま今の自分の心境と重なります。

 

毎日アウトプットしているのはとても良いことだと考えていますが、そのアウトプットの量に応じたインプットができていないのが現状です。インプットの形式は問いませんが、せめて1日1ネタ簡単に絞り出せるような変化のある生活にしたいですね。

 

その通り。こうやって改善点は見えているはずなのに、全然改善できていない。同じ失敗を繰り返すことほど愚かなことはないよなぁ。反省。

長時間労働の問題を考えてみる

今日はライフハッカーのこんな記事を紹介。

www.lifehacker.jp


1日8時間のうち、労働者が生産的な時間の平均はたった2時間53分だという研究もあります。

 

なのだそうだ。何をもって生産的というかの線引きが難しいとは思うけれど、まぁ分からん話ではない。

 

ちなみにこの記事でいう非生産的な活動というのは以下の通り。

 

  1. ニュースサイトを読む:1時間5分
  2. SNSをチェックする:44分
  3. 同僚と仕事と関係ない話をする:40分
  4. 転職先を探す:26分
  5. タバコ休憩:23分
  6. 恋人や友だちと電話をする:18分
  7. コーヒーやお茶をいれる:17分
  8. 携帯でメールをする:14分
  9. おやつを食べる:8分
  10. 社内で食事をする:7分

 

個人的には3、5、7、9あたりは別にいいのではないかと思うのだけれど、どうなのだろう。このデータからするとあまりに費やす時間が長い気はするけど、仕事と関係ない話が刺激になったりするし、コーヒーやお茶をいれるのは生産的な活動量を増やすことに貢献していると思えば、そんなに非生産的と断定できるような項目では無いのでは、とは思う。


まぁそれはともかくとして、この記事の最後にあるように

 

では、この情報を本当に信じたとして、労働時間を3時間や6時間に短縮したらどうなるでしょう?11~17時が一般的な勤務時間になったらどうなるでしょう? もっと休息が取れて、もっと集中できるようになり、もっと生産的になるかもしれません。


ここは中々難しいところ。労働時間を短縮したらしたで、結局生産的な労働時間も相対的に減ってしまうのではないか?


働きアリの法則というものがあるように、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割はサボっている。しかし、その中で働いているアリだけを集めても、やはりその中の2割はサボり始める。


比喩としては労働者の例えではあるけれど、労働時間にも適用ができる気がする。8時間の内3時間が生産的だとすると、労働時間を6時間に減らしたとしたら、結局2時間25分しか生産的にならないみたいなね。知らんけど。


生産的な活動=集中している時間ではないことに注意。1日で集中できる時間はある程度固定値なのかもしれないけれど、その中で非生産的な活動もあって仕事というものが成り立つのではないかとも思う。


結局のところ、いかに生産的な活動へ集中力をそそぎ込むかが重要なんじゃないかと。無駄なところに労力かけないというか。


日本の長時間労働は度々問題になるし、解決されるべき問題だとは思うけど、単純に「生産的な活動は1日3時間んだけだから、勤務時間を減らそう」っていうわけにもいかないよなぁ。


ただ個人的には無意味な残業をしないように心がけている。残業ありきで時間配分を考えるのではなく、意地でも定時で帰れるように。あまり偉そうに言えるほど仕事ができる人間だとは思っていないけれど、1人1人がそういう意識を持つことは大事ではないだかと。

 

在宅勤務等も含め、社会全体の仕事が「定時」という概念から解き放たれるような環境が望ましいかなぁ。あくまで個人的な意見ですが。

何だか懐かしいワウリンカの優勝 テニス全米オープン

テニスの全米オープンが終わりましたね。

 

リオ五輪の熱も冷めやらぬうちに、ベスト4まで進出した錦織選手の活躍も話題になりました。

 

そして、今回優勝したのは、その錦織選手を準決勝で下したワウリンカ。決勝で世界王者のジョコビッチを下して自身3度目のグランドスラム制覇。

 

news.yahoo.co.jp

何が懐かしいかというと、そのワウリンカが初めて優勝したグランドスラムが2014年の全豪オープンだったんですね。私がメルボルンに来た直後に正に目の前で行われていた試合だったわけです。チケットが高かったので会場には入りませんでしたが、近くのパブリックビューで観戦していました。

 

全豪オープンは万年5-10位のイメージがあったワウリンカの初優勝だけでなく、ナダルとフェデラーの久しぶりのライバル対決があったりと中々印象に残っている大会だったんです。

 

今回、またワウリンカが優勝したことで、何となくあぁあの懐かしい日々よ・・・と2014年の全豪オープンとそのころのメルボルン生活を思い出してしまったわけですね。あぁ懐かしい。

 

フラットな人生 - たまには本音をさらけ出す 

楽しくは無いけれど、そんなに辛くも無い。絶望はしていないけれど、希望も無い。自分の人生ってものすごく平面的。何の凹凸も無く、浮き沈みも無い。

 

あくまでも主観でしかないけれど、自分はきっと苦労してこなかったんだよな。小さな挫折はたくさんあったけれど、大きな挫折というものを経験したことが無い。それは多分、何か選択を迫られたときは消去法で選んできたから。自分が傷つかないように、やりたくないことを避け、常に無難な選択をする。そんなことを続けてきたから今のような状態になってしまったんだよなと。

 

ちょっとでも面白そうとか、これやってみたいっていうことに飛びついたり、何か難しいことに挑戦してみればいいんだけど、そういったことができない。

 

やりたいことがあっても、恥ずかしい、自分には合わないと言って、結局やらない。

挑戦したいことがあっても、自分には無理だと決めつけて、結局挑戦しない。

 

自分の適性はこうだからって、勝手に選択肢を狭めて、そこからやりたくないこと、難しいことを消去して選択してきた人生。

 

若い時の苦労は買ってでもしろ、とはよく言われるけれど、自分はそれをしなかったから今になってそのつけが回ってきているんだよなと。

 

「このままじゃ駄目だ」って何度頭の中で考えてきたか分からない。ただ考えているだけで、気づけば20歳になり、気づけば25歳になり、そして気づけば30歳になった。振り返ってみると本当に恐ろしい。チャンスはあったはずなのに結局何もしなかった。このまま気づけば40歳になり、50歳になり・・・想像するだけで恐ろしい。

 

ポジティブな気持を掻き立てるために、ブログではネガティブなことは書かないと思っていたけれど、それももう限界。

 

goodman-australia.hatenablog.com

 

ある意味 、自分の負の感情を抑えるためにブログをやっているという側面もあるのかもしれませんね。ネタを絞り出すのは大変な作業ですが、落ち込んだ精神状態であったとしても、何かしら「人に見せられる文章」を作成する事で、何となくすっきりとした気持ちになります。

 

過去の記事でこんなこと書いていましたが、実は抑えるからおかしくなってるんじゃないか? 何となくすっきりとした気持ちになっているだけで、何も変わっちゃいないんじゃないか。そんな疑問を持つようになりました。

 

いっそのこと、より本音の自分を吐き出していった方がよいのではないかと思い、今こんなことを書いています。

 

わざわざ前向きに振る舞う意味あるのかって話ですよね。そんなものは所詮虚像でしかありません。四六時中こんな感じっていうわけでもないけど、本質的には自分は内気で悲観的でひねくれ者。

 

まずは超絶ネガティブ人間の自分と本心で向き合うことから。本音をさらけ出さないと前に進めない気がする。